結婚と恋愛

その基本的な形は性愛と恋愛で、おおげさに言うと、DNA(遺伝子)が命じる行為です。「愛」という言葉が現在のような意味で使われるようになったのは、日本では明治以後のことです。それ以前、日本人の日常には、現在のような意味での「愛」という言葉はありませんでした。「慈悲」や「仁」という言葉はありましたが、「愛」という言葉が現在のような意味で使われるようになったのは、明治に入って英語の《きぐ①管・に対する訳語としてでしょう。ギリシャ語の「愛」という言葉には、エロスとアガペーという二つの意味があります。エロスは性愛ですが、アガペーは神の愛のことをいいます。こちらは中国語の「仁」に相当するもので、性愛的な意味を含まない愛のことです。キリスト教で説く「愛」はアガペー、つまり、自己を犠牲にして他者につくす「愛」です。会話の中からその人の性格や望みなどを見つけられれば、ここ→で出会った人は自分にとって結婚を考えられる人なのか、わかりそうですね。それはともかく、「愛」こそは最高の価値観で、「愛」に奉仕する行為がどうして恥ずかしいことなのか、むしろそれは当たり前ではないかという考え方がエスカレートしていくのは当然かもしれません。それでも、今後、人前でセックスしてみせる男女が出てくるかどうかは疑問でしょう。たしかに、アメリカ人にはスワッピング(夫婦交換)をしたりする人も日本より多いようですが、日本人ではまだきわめて稀のようです。日本人の場合は、恥じらいという感覚がアメリカ人よりも強いのです。これには理由が四つほどあります。第一に、アメリカはもともとキリスト教国でした。キリスト教、とくにプロテスタンテイズムはかなり禁欲的な宗教です。とくにアメリカの大都市に住んでいる人にはプロテスタント、あるいはピューリタンが多く、そのキリスト教の締めつけがひじょうに強かったわけです。

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